ベクトルと線形結合
ベクトルの定義と表現(矢印・成分表示)、基本演算(和・スカラー乗法)を整理し、線形結合と生成空間の概念をベクトル空間の観点から解説します.
TL;DR
- ベクトルの定義
- 狭い意味のベクトル(ユークリッド・ベクトル): 大きさと方向を併せ持つ物理量
- 広い意味、線形代数におけるベクトル: ベクトル空間の元
- ベクトルの表現法
- 矢印による表現法: ベクトルの大きさは矢印の長さで、方向は矢印の向きで表す。可視化しやすく直観的だが、4 次元以上の高次元ベクトルや非ユークリッド・ベクトルは表現が困難。
- 成分表示: ベクトルの始点を座標空間の原点に置き、終点の座標でベクトルを表す方法。
- ベクトルの基本演算
- 和: $(a_1, a_2, \cdots, a_n) + (b_1, b_2, \cdots, b_n) := (a_1+b_1, a_2+b_2, \cdots, a_n+b_n)$
- スカラー乗法: $c(a_1, a_2, \cdots, a_n) := (ca_1, ca_2, \cdots, ca_n)$
- ベクトルの線形結合
- 有限個のベクトル $\mathbf{u}_1, \mathbf{u}_2, \dots, \mathbf{u}_n$ とスカラー $a_1, a_2, \dots, a_n$ に対して、$\mathbf{v} = a_1\mathbf{u}_1 + a_2\mathbf{u}_2 + \cdots + a_n\mathbf{u}_n$ となるベクトル $\mathbf{v}$ を $\mathbf{u}_1, \mathbf{u}_2, \dots, \mathbf{u}_n$ の線形結合(linear combination)という
- このとき $a_1, a_2, \dots, a_n$ をこの線形結合の係数(coefficient)という
- 生成空間(span)
- ベクトル空間 $\mathbb{V}$ の空でない部分集合 $S$ に対して、$S$ のベクトルを用いて作られるすべての線形結合の集合 $\mathrm{span}(S)$
- $\mathrm{span}(\emptyset) = {0}$ と定義
- ベクトル空間 $\mathbb{V}$ の部分集合 $S$ に対して $\mathrm{span}(S) = \mathbb{V}$ なら、$S$ が $\mathbb{V}$ を生成する(generate または span)という
Prerequisites
- 座標平面/座標空間
- 体(field)
ベクトルとは何か?
狭い意味のベクトル:ユークリッド・ベクトル
力、速度、加速度など多くの物理量は大きさだけでなく方向の情報も持つ。このように大きさと方向を併せ持つ物理量をベクトル(vector)という。
上の定義が物理学の力学や高校数学で扱うベクトルの定義である。このように「有向線分の大きさと方向」という幾何学的意味を持ち、物理的直観に基づく狭義のベクトルは、厳密にはユークリッド・ベクトル(Euclidean vector)と呼ばれる。
広い意味のベクトル:ベクトル空間の元
線形代数では、上のユークリッド・ベクトルの定義より広い意味を持つ、より抽象的な代数的構造として次のようにベクトルを定義する。
定義
体 $F$ 上のベクトル空間(vector space)または線形空間(linear space) $\mathbb{V}$ とは、次の 8 条件を満たす 2 つの演算、和とスカラー乗法を持つ集合である。体 $F$ の元をスカラー(scalar)、ベクトル空間 $\mathbb{V}$ の元をベクトル(vector)という。
- 和(sum): $\mathbb{V}$ の 2 つの元 $\mathbf{x}, \mathbf{y}$ に対し、一意の元 $\mathbf{x} + \mathbf{y} \in \mathbb{V}$ を対応させる演算。このとき $\mathbf{x} + \mathbf{y}$ を $\mathbf{x}$ と $\mathbf{y}$ の和という。
- スカラー乗法(scalar multiplication): 体 $F$ の元 $a$ とベクトル空間 $\mathbb{V}$ の元 $\mathbf{x}$ ごとに一意の元 $a\mathbf{x} \in \mathbb{V}$ を対応させる演算。このとき $a\mathbf{x}$ を $\mathbf{x}$ のスカラー倍(scalar multiple)という。
- すべての $\mathbf{x},\mathbf{y} \in \mathbb{V}$ に対して $\mathbf{x} + \mathbf{y} = \mathbf{y} + \mathbf{x}$(加法の交換法則)
- すべての $\mathbf{x},\mathbf{y},\mathbf{z} \in \mathbb{V}$ に対して $(\mathbf{x}+\mathbf{y})+\mathbf{z} = \mathbf{x}+(\mathbf{y}+\mathbf{z})$(加法の結合法則)
- すべての $\mathbf{x} \in \mathbb{V}$ に対して $\mathbf{x} + \mathbf{0} = \mathbf{x}$ となる $\mathbf{0} \in \mathbb{V}$ が存在する(零ベクトル、加法に関する単位元)
- 各 $\mathbf{x} \in \mathbb{V}$ について、$\mathbf{x}+\mathbf{y}=\mathbf{0}$ を満たす $\mathbf{y} \in \mathbb{V}$ が存在する(加法に関する逆元)
- 各 $\mathbf{x} \in \mathbb{V}$ に対して $1\mathbf{x} = \mathbf{x}$(乗法に関する単位元)
- すべての $a,b \in F$ とすべての $\mathbf{x} \in \mathbb{V}$ に対して $(ab)\mathbf{x} = a(b\mathbf{x})$(スカラー乗法の結合法則)
- すべての $a \in F$ とすべての $\mathbf{x},\mathbf{y} \in \mathbb{V}$ に対して $a(\mathbf{x}+\mathbf{y}) = a\mathbf{x} + a\mathbf{y}$(加法に関するスカラー乗法の分配法則 1)
- すべての $a,b \in F$ とすべての $\mathbf{x},\mathbf{y} \in \mathbb{V}$ に対して $(a+b)\mathbf{x} = a\mathbf{x} + b\mathbf{x}$(加法に関するスカラー乗法の分配法則 2)
この線形代数におけるベクトルの定義は、前述のユークリッド・ベクトルまで包含する、より広い範囲の定義である。ユークリッド・ベクトルも上の 8 つの性質を満たすことを確認できる。
ベクトルの起源と発展は、力や物体の運動・回転、場といった概念を定量的に記述しようとする物理学の実用的課題と密接に結びついている。自然現象を数学的に表現する物理学的要請により、当初はユークリッド・ベクトルとしてベクトルの概念が提示され、その後、数学がこれらの物理的概念を一般化・理論化する過程で、ベクトル空間・内積・外積などの形式的構造を整備し、現在のベクトルの定義に至った。すなわち、ベクトルは物理学が求め、数学が確立した概念であり、純粋数学だけの産物というより、数学界と物理学界が緊密に交流しながら発展させてきた学際的な産物といえる。
古典力学で扱われてきたユークリッド・ベクトルは、数学的にはより一般化された枠組みで表すことができ、今日の物理学ではユークリッド・ベクトルだけでなく、ベクトル空間・関数空間といった数学で定義されたより抽象的な概念も積極的に活用して物理的意味を与える。ゆえにベクトルに関する二つの定義を単に「物理学的定義」「数学的定義」と捉えるのは適切でない。
ベクトル空間については後で詳しく見ることにし、まずは座標空間上で幾何学的に表現可能な狭義のベクトル、ユークリッド・ベクトルに焦点を当てる。直観的なユークリッド・ベクトルの例を先に押さえておくことは、のちに他のベクトルへ一般化する際にも理解の助けとなる。
ベクトルの表現法
矢印による表現法
幾何学的直観を最もよく生かした、よく見かける表現法である。ベクトルの大きさは矢印の長さで、ベクトルの方向は矢印の向きで表す。
画像の出典
- 作者: ウィキペディアユーザー Nguyenthephuc
- ライセンス: CC BY-SA 3.0
この表現法は直観的ではあるが、4 次元以上の高次元ベクトルに対しては矢印での表現には明確な限界がある。さらに将来的には、そもそも幾何学的に表現しにくい非ユークリッド・ベクトルも扱う必要があるため、後述する成分表示に慣れておくことが望ましい。
成分表示
ベクトルがどこに位置するかに関わらず、大きさと方向が同じであれば同一のベクトルとみなす。したがって、ある座標空間が与えられたとき、ベクトルの始点をその座標空間の原点に固定すると、$n$ 次元ベクトルは $n$ 次元空間上の任意の点に対応し、この場合、終点の座標でベクトルを表すことができる。このような表現法をベクトルの成分表示という。
\[(a_1, a_2, \cdots, a_n) \in \mathbb{R}^n \text{ or } \mathbb{C}^n\]画像の出典
- 作者: ウィキメディアユーザー Acdx
- ライセンス: CC BY-SA 3.0
ベクトルの基本演算
ベクトルの基本演算は和とスカラー乗法の二つである。すべてのベクトル演算はこの二つの基本演算の組み合わせで表現できる。
ベクトルの和
二つのベクトルの和はやはりベクトルであり、このとき合成ベクトルの成分は、二つのベクトルの対応する成分同士をそれぞれ足したものに等しい。
\[(a_1, a_2, \cdots, a_n) + (b_1, b_2, \cdots, b_n) := (a_1+b_1, a_2+b_2, \cdots, a_n+b_n)\]ベクトルのスカラー乗法
ベクトルは大きさを拡大・縮小でき、これをベクトルに定数(スカラー)を掛けるスカラー乗法という演算で表す。あるベクトルを定数倍した結果は、各成分を定数倍したものに等しい。
\[c(a_1, a_2, \cdots, a_n) := (ca_1, ca_2, \cdots, ca_n)\]画像の出典
- 作者: ウィキペディアユーザー Silly rabbit
- ライセンス: CC BY-SA 3.0
ベクトルの線形結合
微積分学が数 $x$ と関数 $f(x)$ から出発するように、線形代数はベクトル $\mathbf{v}, \mathbf{w}, \dots$ と線形結合 $c\mathbf{v} + d\mathbf{w} + \cdots$ から出発する。そしてベクトルのあらゆる線形結合は、上の二つの基本演算、和とスカラー乗法の組み合わせで構成される。
有限個のベクトル $\mathbf{u}_1, \mathbf{u}_2, \dots, \mathbf{u}_n$ とスカラー $a_1, a_2, \dots, a_n$ に対して、次式を満たすベクトル $\mathbf{v}$ を $\mathbf{u}_1, \mathbf{u}_2, \dots, \mathbf{u}_n$ の線形結合(linear combination)という。
\[\mathbf{v} = a_1\mathbf{u}_1 + a_2\mathbf{u}_2 + \cdots + a_n\mathbf{u}_n\]このとき、$a_1, a_2, \dots, a_n$ をこの線形結合の係数(coefficient)という。
では、なぜ線形結合が重要なのか。次のような、$m$ 次元空間上の $n$ 個のベクトルが $m \times n$ 行列の $n$ 本の列を成す状況を考えよう。
\[\begin{gather*} \mathbf{v}_1 = (a_{11}, a_{21}, \dots, a_{m1}), \\ \mathbf{v}_2 = (a_{12}, a_{22}, \dots, a_{m2}), \\ \vdots \\ \mathbf{v}_n = (a_{1n}, a_{2n}, \dots, a_{mn}) \\ \\ A = \Bigg[ \mathbf{v}_1 \quad \mathbf{v}_2 \quad \cdots \quad \mathbf{v}_n \Bigg] \end{gather*}\]ここでの要点は次の二つである。
- あらゆる可能な線形結合 $Ax = x_1\mathbf{v}_1 + x_2\mathbf{v}_2 + \cdots x_n\mathbf{v}_n$ を表してみよ。 それは何を成すか?
- 望む出力ベクトル $Ax = b$ を作り出す数 $x_1, x_2, \dots, x_n$ を求めよ。
二つ目の問いへの答えは後で改めて扱うとして、いったん今は一つ目の問いに集中しよう。議論を簡単にするため、$\mathbf{0}$ でない 2 次元($m=2$)のベクトル 2 本($n=2$)の場合を例に見てみる。
線形結合 $c\mathbf{v} + d\mathbf{w}$
2 次元空間上のベクトル $\mathbf{v}$ は 2 つの成分を持つ。任意のスカラー $c$ に対して、ベクトル $c\mathbf{v}$ は元のベクトル $\mathbf{v}$ と平行で、原点を通る $xy$ 平面上の無限に長い直線を成す。
ここで与えられた二つ目のベクトル $\mathbf{w}$ がこの直線上にない(ベクトル $\mathbf{v}$ と $\mathbf{w}$ が平行でない)なら、ベクトル $d\mathbf{w}$ はもう一方の二本目の直線を成す。さてこの二本の直線を組み合わせると、線形結合 $c\mathbf{v} + d\mathbf{w}$ は原点を含む一つの平面を成すことがわかる。
画像の出典
- 作者: ウィキメディアユーザー Svjo
- ライセンス: CC BY-SA 4.0
生成
このようにベクトルの線形結合はすなわちベクトル空間を成し、これを空間の生成(span)という。
定義
ベクトル空間 $\mathbb{V}$ の空でない部分集合 $S$ に対して、$S$ のベクトルを用いて作られるすべての線形結合の集合を $S$ の生成空間(span)といい、$\mathrm{span}(S)$ と表記する。ただし、$\mathrm{span}(\emptyset) = {0}$ と定義する。
定義
ベクトル空間 $\mathbb{V}$ の部分集合 $S$ に対して $\mathrm{span}(S) = \mathbb{V}$ なら、$S$ が $\mathbb{V}$ を生成する(generate または span)という。
まだ部分空間や基底といった概念は見ていないが、今のこの例を思い出せばベクトル空間の概念を理解する助けになる。

